母がしんどい。母が重くてたまらない。

最初の頃、律儀に続けてた「トナカイ出勤日・今日の1枚」を復活させることにしました。(あとから振り返ってみると、意外にちゃんと記録になってたのだなーとおもいまして。またサボるようになったら、叱咤激励お願いしますっ)

ということで、ひさびさの「きょうの1枚」。せっかくなので景気いいカード来い来い!と心のどこかに欲があったのだろうか… どん。

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あらまー。ソードの5でした。
※ このデッキはHanson-Roberts tarot deck ⇒★

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よりライダー版ぽい絵柄だとこんな感じです。ソードは言葉、理念。5は外に向かって広がる、主張する。ということで、ソードの5は、一般的には「言いたいことずけずけ言って、周りを傷つけてもへっちゃら/またはそういう出来事に傷つけられる体験をする」と読むことが多いです。なんにせよ「わかるわかる」といった共感性とは正反対で、すぱすぱすぱっと何でもドライに切り捨てるイメージです。

うーん…ここで、考えた。きょうは何らかの理由で深く傷ついてる方々がお見えになるのかな。はたまた、私がずけずけと遠慮なく容赦なく厳しい読みをしてお客様が傷ついてるところを、さらに追い打ちかけるように「え?なにかワタシ間違ったこと言った?だって、全部ホントのことでしょ?」と傷口に塩を塗りこむようなことするのかな。(そういうやり方は、実は私の得意技であり必殺技でもあるので…)とか。いろいろ想像したのです。

果たして、実際にはどうだったと思われます?

なんと、3人のお客様が連続して「実の母が私を強烈にコントロールし続けている。何でも母の言いなりにさせられ続けて苦しい」といった趣旨のご相談でした。(年代もそれぞれ違うし、状況もそれぞれではありますが、要約するとだいたいそういう点が共通していました)

「母がしんどい」「母が重くてたまらない」といったタイトルの書籍があって、近年こうしたテーマが話題になっていることご存知の方も多いと思います。私自身、このテーマは実際の体験者なので、思うところが大いにあります。お三方の悩みも、苦しみも、完全にわかることはできないけれど、みなさんの置かれた状況の苦しさは大いに想像がつきました。

いちおう有名な売れ筋書籍をご紹介しておきます。(とはいえ、私自身はこれらを読んでいません。読まなくても…だいたいなにが語られていて、なにが多くの人の苦しみの元になっているか想像がつくから。読んだら自分が苦しくなることが容易に想像できるから…)


母が重くてたまらない―墓守娘の嘆き


母がしんどい


毒になる親 一生苦しむ子供


とにかく、罪悪感なんて感じる必要ないから、自分がコントロールされていると気がついたなら、なんとか全力で逃げきってほしい。母は母の人生を自分で生きなければならないし、あなたにはあなたの人生がある。母に依存されて、寄生される人生にNOを言う。「愛」という名の支配を振りほどいて、ご自身の力で、この先のご自身の人生を切り開いて、踏み出してほしい。あなたのことを正当に評価して、きちんと受け止めて、大切に尊重してくれる人たちに巡り会って、幸せになってほしい。心の底からそう願い、応援しています。

というわけで、「子供への愛という名の下での母の支配」とは非常に微妙なテーマです。母サイドの方からは非常にヒステリックな反応を呼び起こすことも多いので、これまであまり発言しないようにしてきました。でもちょうど良い機会なので、私自身の体験と意見を書いてみます。人によっては非常に不快に思われるであろうことも多々書きますので、このようなテーマがあまりお好みでない方は、以下お読みにならないことをお勧めいたします。(きょうは笑いもひねりもありません。くどくどと直球ストレートで書きますのでご了承下さい)

以下つづく。


子供の人生は子供の人生であり、母が代わりに生きることはできません。それなのに、能力もあって、エネルギーもあって、美しくて優秀な多くのお母さんたちが、子供に寄生するみたいに、子供の成長だけが自分の人生の目標になっているケースは、程度の差こそあれ、現代にはたくさん溢れているようにお見受けします。心配だ。結果として、とりかえしのつかない、ろくでもないことがたくさん起こる、としか思えません。

私はまだこの世代では珍しい一人っ子として生まれました。母は、技術専門職になろうとして努力していた夢を祖父によって断たれ、夢を諦めて結婚して、専業主婦として私を育てました。私は核家族の一人っ子。父は長らく単身赴任で不在。母は子供のことだけに集中できる環境でした。私は小学校からお受験して私立に通いました。実に醒めた子供でした。

「子供に良い教育を受けさせて、オトナになって勝ち組(なんて言葉は昔はなかったけど)にさせたい」という親御さんたちの気持ちは理解できますが、なにごとも程度の問題、があるでしょう。親が全部子供の進路を決めて、「よかれと思って」「アナタのためを思って」「あなたのことは私がいちばんわかっているから」と、何もかも子供をコントロールする方向にいくことは危険以外のなにものでもない。

子供のころ、いわゆるイイ子でオトナからの評価がよかった友人たちは、みんなそのあとさまざまなトラブルを起こしたり、消息がわからなくなったり、世間的には挫折といわれるような状態になったりしました。かくいう私も、子供のころからの世界からみれば、ドロップアウト組のひとりです。

母は何から何まで、私のことしか見ていなくて、何から何まで干渉する人でした。イヤでイヤでたまらなかった。放っておいてほしかった。一分一秒でもはやくオトナになって、この環境から逃げ出したかった。そして、幸か不幸か、私は非常に我が強くて、口が達者だったので、親の言いなりには絶対になるまいと、なにもかも徹底的に反抗しました。学校でも非常にナマイキで、納得いかないことにはどこまでも抵抗するような、問題生徒でした。自分が逆上すると何をしでかすかわからない、という自覚もありました。

とにかく10代のうちは、まるで生きてる気がしなかった。常に押さえつけられて、苦しくて苦しくて「やらなきゃ殺される」くらいに思っていました。素手で戦ったことは何度もありますが、そのまま母を殺したい、と思ったことも幾度と知れずにあります。いまでは実行しなくて良かったと心から思いますが、若い頃の勢いだったら、そのままなにかのはずみでなにかしでかしてもおかしくなかった。自分を押さえつけて、コントロールする存在がただただ疎ましくて憎くてたまらなかったのです。

20歳のとき、私は難病に罹患します。医学上では因果関係は証明できないけれど、自分の中では長年にわたる母との確執による消耗が原因だったと思っています。そのあとも、長きに渡る闘いは続きました。いろんなことがありました。具体的な暴力にだけはならなかったけれど、心の中は血まみれでした。過程は長くなりすぎるので、詳しい話は省きます。

それが、いまではあの闘いが何かの間違いだったのではないかというくらい、母とは平和な関係ですし、仲良くしています。母は母で自分の人生を楽しむことに夢中になり、私に干渉するヒマはなくなったし、私を変えようともしなくなったのです。(ただし、ちょっと近づきすぎるとお互い踏み込みすぎて喧嘩になるので、あまり長時間深く関わらないように、お互いそれなりに気を使ってはいます)

この前、ふと尋ねてみました。「なぜ変わったの?」と。答えはこうでした。「世の中には、自分の思い通りにならないことがあるってわかったから、あきらめた」と。なるほど。含蓄深いですね。あきらめる、とはもともと「あきらかにみる」という意味です。お釈迦様がそう言ったんだっていうんだから、母の気づきは間違いない真実でしょう。

おかげさまで、結局のところ、私はなにひとつ母の思い通りにはなってないです。素直で感じの良いお嬢さんとして、良い学校をでて、普通に良い会社に就職して、世間体の良い夫を捕まえて、出来の良い子供を産んで、絵に描いたような素敵な家庭を築いて、お墓もしっかり守って、とか全部お断り。強靭な意思で親の意向を全部跳ね返し、親の代わりに男性に頼るのもお断り。自分は自分だと言い続けて、行動し続けました。とはいえ、10代後半から20代のほとんどは酷い鬱状態で、まるで死んだようにぼんやりとただ息してるだけみたいに生きてた時間も相当長いです。自分が人生の前半に、親との確執に費やした膨大な時間とエネルギーを、もっと他の生産的な仕事や活動に使えていたなら、もっともっと違った人生だっただろうに…というほのかな後悔はあります。もっとも、「普通の」「良い」人生を母の言う通りに送っていたなら、いまごろ私はもっと取り返しのつかない問題をたくさん起こしていたことでしょう。

親は親で、子は子です。「おまえは自分で子供を産んでないから、親の愛がわからないんだ」と反論されても平気です。ちっともくじけません。どうぞおっしゃってください。それが本当の「愛」だというなら、子供の可能性を信じて育ててください。最低限のサポートさえ保証したら、あとは放っておく、信じて任せればいい。無意識のうちに自分が必要とされたいからという理由で相手の世話を焼き、相手をわざと無力な状態にとどめて、なにからなにまで細かく面倒を見ようとするのは、自分が愛されたい、自分が相手に必要とされたいと願うただの自分勝手なエゴでしかありません。おそろしい。

ごくごく古典的な理論では、母性は受容性で融合する性質で、父性は切断して自立させる機能だと言われるわけですが、伝統的に日本では母性的な一体感がよしとされ、求められ、過剰なまでの母性礼賛や「母親らしさ」への期待、「母の愛」的なあれこれが賞賛されてきています。

しかしながら、なんでもかんでも、くっついて、融合すればいいってもんじゃない。「心理療法の目的の一つは、家族間に流れる負の連鎖を断ち切ることだ」と、尊敬する先生がおっしゃっていたことを思い出します。

次回は「断つ」ことについて書いてみます。


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2014/10/28(火)
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