太陽の東 月の西

太陽・月論を始めると、やはりこのあたりを避けて通る訳にいくまい。しばらく、ちょっと趣向を変えていきましょう。

『太陽の東 の西』 East of the Sun and West of the Moon
北欧ノルウェーの民話。カイ・ニールセンの挿絵が素晴らしい。

太陽の東 月の西(カイ・ニールセン挿絵)

貧しい家の美少女が、ある日現れた大きな白熊のところへと嫁ぐ。
夜になると白熊は、人間の男性に姿を変える。
しかし彼は言う。「絶対に夜の僕の顔を見てはいけないよ

となれば、もう続きは想像つきますか?いわゆる「見てはならぬ」譚に分類されるお話です。日本の見るな譚は、鶴の恩返しとか、見るなの花座敷とか、男性が女性の秘密を覗き見る構造のお話が有名なんだけど、西洋ではそれ
が逆なんですよね。女性が男性の秘密を覗くんです。興味深いですね。(このあたりの事情、河合隼雄先生が書いてそうだなー。読んでみたい)

ストーリーはこちらでお楽しみ下さいませー。
http://pinkchiffon.web.infoseek.co.jp/nielsen.htm


太陽の東 月の西(カイ・ニールセン挿絵)

神話や民話って、実におもしろいもので、世界各地で共通する内容が散見されます。(設定が地域に合わせて変わるくらいで、構造は同じ)なぜなんでしょうね?神話や民話は、いっけん荒唐無稽なデタラメみたいにみえるけれど、実は地域や人種を超えて、人間の心の中に広く深く共通する構造を表現している物語だと考えられています。
世界各地の神話を比較すると本当に不思議です。(→小さい頃ずっと神話マニアだった、ワタクシ)

『太陽の東 の西』は、ギリシア神話から派生した物語である有名な『クピドとプシュケ』とほぼ同じ構造です。

謎の男性のところへ嫁いだ女性が、「見てはならぬ」のタブーを破って男性の真実の姿を見てしまう。見なきゃそのまま安泰な生活が続いただろうに、見ずにはいられなかった。正体を見られた男性はそのままの関係を続けるわけにはいかない。白熊くんも、クピドくんも、自分の母から執拗な呪いがかけられているから。(無自覚なオトコはみんな、お母ちゃんの支配下で操られている、という象徴でしょうか)ってことで、男性ははるか彼方へ姿を消してしまう。

太陽の東 月の西(カイ・ニールセン挿絵)

そこで、女性は悲嘆に暮れつつも、彼を探して冒険の旅に出る。これが定番の展開です

クピド版も、言わずと知れた愛の神様キューピッドと人間の女性であるプシュケが、数多の苦難を乗り越えて一緒になる話、と要約出来ます。(が、苦労するのは女性だけじゃね?と突っ込みたくなるのは私だけ?w)

こんな風に、要らぬ苦労をするはめになるのも、おまえが悪いのだ。夫に言われた通り、おとなしくしてれば、こんなことにならなかったのに。相手の真実の姿なんて見ようとするから、こんな苦労するはめになるのだ。(このパターンのお話は、暗にそういうメッセージも含んでいたりします)

太陽の東 月の西(カイ・ニールセン挿絵)

クピド=キューピッド=エロス的愛、プシュケ=Psyche=精神、心、魂と捉える考え方もあります。どちらもだいじ。片方だけではダメ。だからいっしょにならねば。って、異なる者同士は求め合うのだけれど、結合は容易ではない。だけど、そこをなんとか乗り越えて行くのが醍醐味である。ということかもしれません。なんにせよ「本質的に他者と結ばれるには、苦労せねばならんのよ」とも言えそうです。

そして、もうひとつの解釈は、白熊も女性も、クピドもプシュケも誰でもひとりひとりの心の中に居るんだ、っていう考え。「男性であろうと、女性であろうと、自分の中に能動性と受動性と、両方を兼ね備えてこそひとりの立派な人間!」ということです。そんなことをあっさりと一言で片付けるのも、なかなか味気ない。昔の人はあれやこれやとモチーフやらメタファーを何重にも介して、大事なことを語ったのかもしれません。

神話はまさに「象徴」が複雑に絡み合って構成されています。「象徴」というのは、多層構造でして、とても曖昧で、いろんな意味に読み取れるからこそ、その味わいがあるのでしょう。

クピド版のお話はこちらで。
http://kafka.arekao.jp/entry-8275bd13274d04315a727ce1baf9fcf1.html


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2011/02/14(月)
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