木星と暦のお話

雑誌の後ろに出てたりする「○○座のあなたは~」ってタイプの占いは、いわゆる太陽星座をもとに書かれてます。年単位だと「今年ラッキーなあなたは~」とか書かれてたりしますが、これはたいてい木星の居場所が基準になってます。

今年はイレギュラーで、木星さんは牡羊サインを駆け抜けて行ってしまいましたが、普通はひとつのサインに約1年間滞在します。というわけで、公転周期は11.86年。つまり約12年です。

木星は昔ながらの解釈でいえば「大吉星」ですが、現代的な解釈では、その意味は「(良くも悪くも)拡大する」であります。だから木星がやってきたからといって「幸運の星」として棚ボタ的ラッキーが黙っていてもやってくるわけでもなく、ただ単にものすごーく忙しくなったり、なんかゆるーく散財しちゃったり、なんだか身体が膨張したり=つまり太ったり…!!! ぜんぜんラッキーじゃないじゃないかーーー!ってことも大いにあり得る。

ちなみに石井ゆかりさんは、木星が巡ってくる時期のことを 「幸運期、
あらため耕耘期」と呼んでいて、私はその表現がとても好きです。

はるか昔、紀元前の時代から、天文観測によって木星の公転周期が約12年だということは知られていて、木星は高貴な星として尊ばれていたそうです。メソポタミアではマルドゥク神、古代ギリシアでは神々の長であるゼウス神
として崇められていました。

古代中国でもそうでした。木星は「歳星(さいせい)」と呼ばれていました。昔々の暦は、天球を12分割してそれぞれに番地のように名前を付けて、(十二次と呼ばれます)どの区画に木星が居るかで、年を数えていました。「歳星紀年法」と呼ばれる古い暦のスタイルです。

歳星紀年法の手書き図
あっ。。。蟹マーク入れ忘れた。。。スミマセン。。。

そのうち、十二辰(じゅうにしん)という区分が使われるようになりました。いまでいうところの「十二支」が当てはめられています。ちなみに、年賀状に描く絵みたいな「十二獣」になったのは便宜上であったそうで、もともとは動物とは関係ない番地名みたいなのが十二支です。


十二辰の手書き図

東から昇って西に沈む太陽の動きと連動してますね。一日の時間、一年の季節の推移も十二辰、つまり十二支を当てはめて表現されるようになってます。

それでも、実際の木星は、西から東に動いていくので、十二辰と同じ方向(東から西)に動く架空の星(太歳=たいさい)というのを設定しました。

太歳紀年法の手書き図

実際の木星と線対称の位置に「太歳」がいる、と決めまして、例えば「寅」の位置に太歳が居れば、「今年は寅年」と言うようになったのです。これが「太歳紀年法」と呼ばれる暦のスタイルです。

すごいねー!よくできてるー! と感動したのですが… ここがなかなか難しい。木星の公転周期はぴったり12年ではないので、必ず誤差が出てきます。長期間の暦として運用していく上では、いろいろ問題が起こりました。

で… あるときその誤差の修正をするのをやめて、十二支と十干というのを組み合わせた「六十干支」というのを使って、これを機械的にどんどん当てはめていく「干支紀年法」という暦に変わった、んだそうです。(これがまだまだ紀元前の時期の話だっていうんだから…すごいよね…)とかなんとか。ここ数日にひとりでぶつぶつとベンキョーしてみた内容です。

それにしても暦ってすごいなーーー!!!と、改めてつくづく感心します。古代では、暦を統べるものこそが王様でした。「暦を制定する」ということは、つまり国の時間を支配するという意味でした。暦を計算する文官にとっては、日食や月食の予報はなにより重大な責務だったといいます。

※ 「天地明察」の渋川春海について書きました。⇒★

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