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ヒプノセラピー体験記を発掘して来た。

本日は超絶個人的な回顧録ですので、モノ好きな方のみどうぞ。
スルー水晶! ぢゃなくって、推奨!

2008年6月 西表島 水たまりのなかの青空
※ 2008年6月 @西表島

先日、あすかさんが書いてたヒプノ体験記を拝読していて ⇒★
ワタシも以前ヒプノ行ったことあったよなぁ…と思い出した。

記録を以前のブログに書いたんだけど、いまは非公開にしてた。
そこから拾ってきましたので、こちらに転載してみます。

2006年12月 斎場御嶽からのぞむ久高島
※ 2006年12月 斎場御嶽からのぞむ久高島

確か、2008年に体験したことを、2009年になってからまとめて
記録していたもよう。(記録しておくってだいじなんだね〜♪)

記憶からはすっかり落っこちてたけど、読み返したらありありと
あのときの感覚が思い出せました。らっき〜であった^^

2006年3月 屋久島 豪雨・ウィルソン株の中から
※ 2006年3月 屋久島 豪雨・ウィルソン株の中から

全6回分くらいを編集してますが、文面にはあえてほぼ手を入れずに
そのまんまでございます。長いです。それでもいってみようっ。

*** *** 2009年3月記 *** ***

巷ではよく「前世」とか言われてるけど、個人的には「そんなんあってもなくてもどっちでもいいよー」と思っております。

もうずいぶん前、たぶん15年くらい前だと思うけれど、とっても仲の良かった友人がかなり興奮気味に「凄い本を読んだよ!『前世療法』っていうの。おもしろいから絶対読んでみて!」と話してくれました。彼女のことはとっても好きだったし、彼女の知性や判断力には心から感服していたけれど、その頃の私は、過剰なくらいのオカルト不信みたいなところがあって(わざわざ不信になるくらいだから、もともとの親和性はあったりするんだよね・・・きっと)、彼女のせっかくのお勧めを素直に受け入れることができなかった。だから、そのままその話はスルーして、聞かなかったふりしたんでした。(なんて器量の小さいヤツだったんだろう・・・私)

※ 『前世療法』は、ブライアンワイス博士の著作ですねー。あーそれで、ワタシは12ハウス土星持ちなので、精神世界系には非常に懐疑的で疑り深く、どっぷり行けないタイプです。

別に悩みがあったわけでもないので、ヒプノセラピーを受けてみようと思った理由は、特になかった。なんか突然に思いついたのです。「やってみたいなー。おもしろそう!」ってかんじでありました。(私がやることにはまぁたいてい確たる理由がないな・・・。でも強いて言えば、そのときにはいろんなことに心底退屈していたのかもしれません)

別に催眠じゃなくても、私はぼんやりしているときとか、睡眠前後の朦朧とした時間とかに、わりといろんなイメージが出てきます。例えば、古代遺跡のような石の台上に生贄として差し出される少女、であったり、タイとかインドみたいな南の国で象といっしょに働く奴隷の少年であったり、「補陀落渡海(中世仏教でやってたらしい、生きたまま海に流される捨身行、だそうだ)」みたいなかんじで、生きたままお棺に入れられて海に沈められる青年、とか。なんかそんなんばっかりね。それって映画の見過ぎじゃん???、みたいな。。。(恥)

だけど、それを「前世の記憶だ」って言う人もいるかもしれないですね。まぁ、そうだとしても別に反論する気もないけど、私自身としては、それをアタマから信じるよりは、もうちょっと理屈っぽく考えていて、「なーんか私のフィルターを通すと、そういうヒロイックな犠牲的存在、というテーマが拡大再生産されやすいってことなのねー」と、わりと突き放した感じで見ていたりします。(あー・・・蛇足。ご存知の方々へ。私が明らかに12ハウス過剰人間だってことは、偶然なんでしょうかしらね? ^^ゞ)

で、実際にヒプノで見た過去世なるものも、まぁ一般的なコトバで言えばむっちゃ暗い。(それはもう爽快なくらいに暗いですよ!)で、ついでに未来世、みたいなのも見たんだけど、それはまた激しくおもしろかった。

*** *** ***

催眠の手順は結構煩雑でした。私はたぶんかなり簡単にそういうモードに入っていけるらしいのだけれど、やはり普通に考えたら、いろんなガードをはずして、イメージが自由に動き回るような状態に持っていくためには、いろんな手続きが必要になるのかもしれないですね。

で、細かく描写をすると、長くなりすぎておそろしいことになるので、あらすじだけ要約。


私は、南アジア(バングラデシュ?インド?カンボジア?)あたりの貧しい村に住む女。
背が高くて、手足が長くて痩せていて、長い黒い髪。ロクに働かない頼りにならない夫と、口うるさい姑、7-8歳くらいの聡明で可愛らしい息子と一緒に暮らしている。(娘も居たようだけれど、死んだのか、口減らしのために身売りしたのか?そこには居ない)

ある日、村は洪水に襲われる。粗末な家は浸水して、今にも流れそう。夫は遠くに出かけていていない。避難するために、私は家にある荷物をたくさん背負い、息子は足の不自由な姑をおぶって、いっしょに逃げようとするが、息子は濁流に足をとられて、姑もろとも河に流されてしまう。そのまま息子と姑は行方不明。私はひとりで生き残る。

ひとり残された私は、植物の蔓で編むカゴや装飾品を作るようになる。とても評判が良く、高く売れることもあるし、弟子のような女性たちに囲まれて、傍目には不自由なく暮らしているように見える。しかし、私自身の孤独は深い。孤独が深くなればなるほど、私が作り出す作品は繊細で独創的で、誰にも真似のできない素晴らしいものになる。

そのうち、年老いて、私は目が見えなくなって、自分が満足のいく作品が作れなくなる。ひとりで静かに息子が流された場所へ行き、そのまま増水した河に入水して死ぬ。



んなかんじ。

私、自分ではストーリーテリング能力は全くないと思ってるんだけど、催眠下の私が紡ぎだしたこの話は、なんともこう、物悲しいストーリーですなぁー。びっくり。
たぶん、私がもっと感受性豊かで繊細な人間だったら、これって、きっとわんわん泣いちゃったりなんかするだろうなぁーとか、催眠下でぼんやりと冷静に考えていました。

とかなんとか。。。
催眠終わってのセルフレビューで、私はわらわらとしゃべり続けたんでした。(セラピストには、「ちゃんと催眠かかってたのに、終わったとたんに、こんなにクリアに喋る人は珍しい!」と驚かれたよ。。。)

えーと。あと訊かれたことで印象に残ってるのは、これか。
「この人生で、やり残したことや、問題点はなんですか?」

「そうですねー。夫と心を通わせる努力をしなかった。最初からあきらめていたこと、かな。心残りは、最愛の息子の成長を見守れなかったこと」

ですな。
要するに、コミュニケーションにまつわる問題、ですね。

たぶん、みなさんには信じていただけないだろうけれど、私は基本的に、デフォルトは自閉、、、気味なのです。(子供の頃は、本当にひどかった。。。)

ということで、2回目の催眠は、コミュニケーションにまつわる自分自身の問題、がテーマになるのでした。

でも、「もう一回過去世退行をしても、状況は違ってもたぶん同じようなパターンのストーリーが出てくるだろうから、もしかして得るものは少ないかもしれないよ」と、セラピストに言われた。
そうかー。突拍子も無いものが出てきて欲しいと、野次馬的な期待が結構あったんだけどな。残念。そういうもんなのかな。

ということで、次はテーマを決めて催眠にのぞむことになった。

ふふふ。そうなったらもう、これしかない。
私の究極のテーマは、「閉じるか?開くか?」なのであります。
私には中庸なんてないんだ。
閉じるも、開くも、やるならテッテー的にやらなくちゃ!ってかんじ。

ひとりで開業してから5年目。私はひたすら閉じていました。

その間には新しいチャレンジはいっぱいあった。大学院行ったり、他所での仕事をしたり、あっちこっちに出かけていったし、野口体操にハマったり。だけど、ほとんどすべて淡々と仕事だけして、限りなく社会的引きこもり状態を自ら作っていたように思います。

といっても仕事してれば患者さんたちには毎日たっぷり会うわけで、もうゲップが出るほど人間には触れているのね。でも、それはやはり仕事であり、職業倫理やら、専門家としての立ち位置を崩すことの無い私。仕事上で営まれるのは、生のリアルな等身大の私としての人間関係ではない。(仕事上、私は本当にできる限りのことはするし、かなり真剣に心を砕くけど、同時にものすごーくドライですよ。でなきゃひとり開業なんてとてもじゃないけどできませんって。)

仲の良い友人もみな遠くに住んでいてそれぞれの生活に忙しいから、わざわざ会うこともほとんどない。それに、そうだ。思い起こせば私、開業するときに、「もうこの先、オトコは要りません。これまで恋愛やらなんやらに費やしたすべてのエネルギーを仕事だけに注ぎます。だからその代わり、ものすごーく仕事ができるだけの能力を私に授けてください!」と超!本気でお祈りしたんでしたよ、そういえば・・・(爆)

ま、すべて自ら望んでしてきたことだし、すべて納得ずくで計画通りだったのだけれど、当時の私は、そろそろいいかげんに、そんな生活にちょっと飽きてきてもいたのです。

そういうわけで、次の催眠のテーマは、「ここから先の私の人生、閉じるか?開くか? どっちの方向性でいきましょうかしらねー?」 ということに決めました。

セラピストと相談して、「閉じて生きていく場合」と、「開いて生きていく場合」の2パターンの自分を、催眠の中でイメージして、どちらの自分がよりしっくりとくるか? それを検討しよう、ということになりました。

催眠に必要な一定の手順を終えたら、目の前に階段をイメージします。

そこを10段上っていったら(過去世のときは、下っていったんだったと思います。確か)、目の前にはこの先の世界が広がっている、というイメージ化をしました。

おもしろいことに、階段の質感も、上から吹いてくる風や空気の質感も、「閉じる」のときと、「開く」のときは全く違いました。おもしろいね。
例えば、演劇やコンサートに行くときには、会場に入ったときからもうこれから始まる非日常のイベントへのわくわく感がありますよね。あんな感じ。

この先はじまることの予兆は、ストーリーが始まる前に、すでに最初から感じられているのですね。(ふだんの生活だって、きっと同じはずなのに、忙しさにかまけて、そういう微細な感覚に無自覚になっている場合が多いんだろうと思うな)


未来世催眠 : 「閉じる」編

冷たくて暗い石の階段を10段上り切ったところの世界。

大きな町を見下ろす山(?)の上に、大きな屋敷がある。バラがたくさん咲いているような広くて立派な庭で、高い塔がある。(全体に明らかに西洋風の雰囲気) 私は、背筋をすっと伸ばして、メガネかけてて、いつでもモノトーンの服を着ている初老の女。(もうそのまんま『アルプスの少女ハイジ』に出てくるロッテンマイヤー夫人ですな。要するに)

私はその大きな屋敷にひとりで住んでいて、塔の上の小さな部屋で、一日のほとんどを過ごしている。(何かを作っているのか?何かを書いているのか?) 毎日毎日、判で押したように正確な時間で刻まれていくスケジュール。お客が来ることもあるけど、それは全部仕事に関わることで、個人的な付き合いや、楽しみごとではない。自分が死んだあとの手配まで、きちんとあらかじめ準備してあるくらいに、すべてに行き届いてコントロールされ尽くした個人生活の究極形ってかんじ。



「閉じる」編の感想

まぁ、この催眠イメージは相当にデフォルメされているわけだけれど、本質的なテーマが、よりはっきりと表現されているように思えます。つまりね、実際に現在のペースで、私がこのまま暮らしていくと、(山の上の豪邸に住んでるってことは別としても) たぶん20年後位には、こんなかんじになるんだろうなぁーと思うのです。

こんなの絶対イヤ!って言う人多いだろうけど、個人的には意外と結構好きだったりする。っていうか憧れ、かな。(冷たくて自己完結してる感じって、なーんか萌えるんです♪)

「いまはひとりでも平気かもしれないけど、年を取ったら淋しいよ。少しでも若くて元気なうちに、早く結婚して、子供を作っておいたほうがいいよ!」 とかなんとか、心ある方々はワタクシに暖かいご助言(またの名を余計な・・・)を下さることがあるんですけどー。そんな感じか。ひとりでも本人は全然淋しいと思ってなくて、満足してたりもするわけです。だって、誰かと一緒に居ること=自動的に幸せ、とは言えないだろうしねー^^; (とかあんまりお外で大きな声では言えませんが・・・)

ま、こんなかんじです。



未来世催眠 : 「開く」編

白い大理石のような階段。上から暖かい潮風が吹いてくる。その階段10段を上り切ったところにある世界。

紺碧の海を見下ろす斜面の上に大きな家がある。風が強い。まるでホテルみたいに、ほとんど全面がガラス張りの大きな窓で、部屋もほとんど仕切りがなくて、フロア全部がリビング兼ダイニングのような広い家。

私は栗色のふわふわした長い髪で、身体を締め付けないルーズなシルエットのワンピースを着ている。限りなく裸足に近いラフな革のサンダルを履いている。服がふわーっと風をはらむ。それがとても自由で幸せな感覚を呼び起こす。

この家には、とにかくいつも人がたくさんいる。
夫とはたぶん再婚で、それぞれに連れ子がいるようだ。それ以外にも引き取った子供、預かっている子供などがたくさんいるし、夫や自分の仕事に関連する人たちが常にたくさん出入りしているような状態の家。

それだけ人がたくさんいる家を仕切っているのに、私はちっとも所帯じみていなくて、むしろかなり大きな仕事を持っているらしい。(家事はアウトソーシングの力を相当借りているようだ)忙しそう。「自分の時間」とかなさそう。いちばんの楽しみは、その家の大きな部屋でたくさんの人たちとしょっちゅうホームパーティすることだな。

輪郭などあってないような、ゆるゆるの関係で繋がれた不思議な集団で、家族というよりは、共同体とでもいうような。私自身にも、「私」という確固たる意思や理想はない。常にその場に応じて姿を変えていくような流動的な存在、かな。


「開く」編の感想

うひゃー! なんかすごい。世の中の規範とか全部ぶっとばしちゃってるスケールの大きさに驚く。(むちゃくちゃリッチっぽいしなー。ハリウッドセレブだったらこんなことも可能かもしれないなー・・・) ま、これがそのまんま実現するとはちょっと考え難いのだけれど、基本的な方針やエッセンスは理解できる。

前回の「個人として閉じた完成形としての自分」とは全くの対極にあるのが、この「ゆるやかな関係性の中のひとつのゆるい結び目としての自分」ってかんじか。どう考えてもこれは、「古典的大家族に回帰せよ」ってなテーマではない。血縁も、それ以外の縁も、いろんなつながりを許容して、抱えていこう、みたいなテーマだと思われる。

とにかくむっちゃくちゃたいへんそうだー! でも、いまさらながらに「個人として普通にこじんまりと幸せな人生」を望むよりは、もしかしてこのくらいスケールの大きい理想イメージを抱えて生きていくほうがおもしろそうかも。

みたいな。



【 全体総括 】

結局のところ、昔からなんとなく感じてた「デフォルト自閉」な自分、というテーマは、かなりはっきりと明らかになってるわけです。「過去世」らしきイメージをみても、このままだとそうなりそうなイメージを見ても、なるべく周りと繋がらない環境で、より高みを目指して自己完結してる自分、というのが根本的なテーマとして横たわっています。たぶん、なにもしないで放っておいたら、このままそうやってこの人生を私は生きていくのでしょうな。

==-
あぁー・・・たぶん必要であろう補足。
リアルの私をご存知の方が、もし私のことを社交的だったり、共感的だったりするように見てくださってるとしたら、それはとてもありがたいこと。それらはもともと私に備わってた能力ではなくて、長きにわたるものすごーい努力の下に後天的に習得して身につけたものでございます。
===

ま、意識的にそれ、つまり「デフォルト自閉で、より高度な自己完結を目指す」テーマを書き換えるとしたら、たぶんそれは、個人という枠を超えて「開いていく」試み、ということになるのでしょうね。

結局のところ、なにが幸せなのかなんて、本当にわからないと思うのです。「ピアスの穴をあけると人生が変わる」っていうみたいに、あけなかった場合と、あけた場合を比較しようがないじゃん! と突っ込みいれたくなるようなかんじに。

私にできることがあるとすれば、なるべくいろんな先入観抜きに、なんとなく導かれる方向に、風に吹かれたり、潮の流れに乗ったりするみたいに、進んでいくことくらいかなー。
ふふふ。いったいどうなっていくんでしょうね。

このつづきは、またいつか。

*** *** *** ***

ほええーーーー。そうだったのか。
このときからぜんぜん進化してないな、自分。。。w

この感想と総括は、、、また改めて書きまする。


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