蠍座最後の度数の日に。

古来より彗星は、凶兆であり、怖れの対象とされてきました。その登場や運行を予測し難い存在である彗星は、日常の平和と安定を乱す象徴であり、政変、動乱、疫病などの兆しであると考えられたのです。

しかし、いまは科学が発達し、彗星の軌道や運行が予測出来るようになりました。彗星は怖れるものではなく、宇宙の不思議な現象である、と現代の我々は考えることができます。

彗星は、冥王星より遥かに遠いカイパーベルト、オールトの雲と呼ばれる、原始の太陽系のもととなったところからやってくるのだそうです。退屈な日常に風穴を空ける不思議な使者とも言えるでしょう。

と、確か3月あたりにこんなようなものを書いたのですよ。

いやーーーー…orz

ただの机上の空論。単なるキレイゴトだった、と思うのです。
自分、まだまだ甘いな。
日常は退屈で、平和なくらいがちょうどいいんだ。

彗星を見た帰り道、非常に辛い出来事がありました。
それは彗星のせいじゃないよ、と思いたいし、彗星を見たからってみんながそういう目にあうわけじゃないのは百も承知。でも、私にとっては、やっぱりハードな体験でした。ここのところずっと平穏で単調に(外から見たらそうじゃないかもしれないけどさ)生きていた自分に、がっつり腹にパンチ入れられる気分でした。そして、自分はそういうぎりぎりの状況やせっぱつまった感情体験の中でしか、生きている実感が得られないバカモノなのだということを痛感させられました。

ああ。でも明日の朝はまた彗星を見に行きますよ。
懲りないよ。こうなったらあとは野となれ山となれ。

明日は水星・彗星・土星のコンビネーションが見られるそうです。
近日点は29日でしたっけ?
いまを逃すと、12月までアイソン彗星は見られなくなります。



あーあ… もっと無難に生きたい。それだけが願い。
と、若い頃から言ってました。
それは叶わぬ夢か。

こんなもん書いてもしょーがないだろう。とおもいます。
まぁ、でもいまこれを書いとかないと次には進めない。

ただただ暗くて救いがないどうしようもない話です。
残酷な描写もそのまんま書きます。
大変恐縮ですが、敏感な方はこの先ご遠慮下さい。







*** *** *** *** ***






11/22の早朝、ついにアイソン彗星を見た!
おおお〜〜〜!!! すげ〜〜〜!!! カッコいい〜〜〜!!! と大興奮。その日は調子も良かったから、ぽんぽん走れて、ひさびさにらくらくと 5km30分 の悲願をもう少しで達成出来そうでできなくて、それでもご機嫌で自転車を漕ぎながら家に帰る途中のことだった。

いつもなら、左に曲がって裏道を通って帰るのに、なぜかよくわからないけど、その日に限って、まっすぐにメインストリートの歩道を行った。

んんん??? 自分の行く手、10mくらい先。カラスが何かを足で持って飛び跳ねたりつつきまわしている。ったく、バカカラスがまたゴミ袋を荒らしているのか。いいかげんにしろ。(私はカラスが大嫌いだ)

いや、、、違う。きょうはゴミの日じゃない。
あれは生き物だ!

自転車で近寄った。カラスがキジバトを襲っていた。
私が来たので、カラスは真上の電線に避難して、
そのまま上からこちらを見下ろしている。

しゃがむ。襲われていた鳥と目が合う。
鳥はぶるぶる震えている。
まんまるな瞳で、こちらをじっと見る。

キジバトは、成鳥にまだなりきっていないくらいの若鳥だった。どこかから誘拐されてきたのか、外の世界に巣立ったばかりだったのか。カラスのあんなクチバシで攻撃されたらひとたまりもない。出血はしていないものの、片方の翼が脱臼してあらぬ方向にねじれてしまい、クチバシはおかしな方向に曲がってしまい、両足は折れてぶらぶらして歩けなくなっている。ねじれた翼を必死にばたばたと動かしながら、転がるように路上を移動しようとするばかりだ。

さて。どうしたものか。

まだ朝早くて、歩道の通行人は数えるほどしか居ないけれど、みんな足早に私とハトのことは視界に入らないようにして通り過ぎて行く。そうだよね。ここは東京。無関心こそが美徳だ。私だって、通勤途中の立場だったら同じようにするだろう。他人のことを文句言ったり恨むことはできない。

さあ。どうしようか。私は子供の頃から、迷い犬や捨て犬に遭遇することが何度もあった。(いまはあんまりみかけないよね。昔はそういうこと結構あったんだよ)で、あとさき考えないで拾って来る子供だったんだよ。親は毎回呆れていた。でも、放っておけなかったんだ。どうしようもなかったんだ。だって、だって、出会ってしまったんだもの。仕方ないじゃないか。そうだよね。そういう子供だった私が、いまここで、みすみすこの鳥を見捨てて立ち去るのはあまりにも自分の流儀に反するじゃないか。

さて。自分の理性が言葉を発する。ここまで痛めつけられて瀕死の野鳥を保護してどうなるというのか。いったい自分に何が出来る?残念だけれど、結局この鳥はほどなく死ぬよ。野鳥を診てくれる動物病院はこのあたりにあったっけ?ドバトはダメでも、キジバトなら診てくれるだろうか?いや、でもきょうはこれから予約がぎっちり入っていて、とてもこの鳥を病院に連れていく余裕はないだろう。部屋にそのままこの鳥をおいておくつもり?ただそのまま死んでいくだけの鳥を連れ帰るなんて、それは単なる自分のセンチメンタルな自己満足でしかないんじゃないの?

ああ… なんでいつものように裏道を通って帰らなかったんだろう。あそこでいつもどおりに曲がっていれば、こんな場面に出くわすことはなかった。なんでこっちに来てしまったんだろう? そうなんだよ。私の人生はいつもこうだ。なぜだろう。いつもこうやって、なぜこんなところに来たの?というところで、縁もゆかりもないような誰かの不幸に突如として巻き込まれる。それなのに、なぜか出来事の後始末をするのはいつも私の役目なんだ。。。

カラスは相変わらず上から私を見下ろしている。

鳥を両手ですくいあげるように持ち上げた。(ああ。野鳥は病気もってるかもしれないから素手でつかんじゃいけないんだっけ。しょうがないね。これはもうこれだ。どうにでもなれ!) キジバトは大した抵抗もせず、私の両手の中でぶるぶると震えている。

さてと。どうしようか。自転車のカゴに鳥を乗せた。

のろのろと自転車を走らせながら、考える。あのまま路上でカラスに殺されるのを見殺しには出来なかったとはいえ、どうしようか。助けてあげたいのはやまやまだけれど、ここまで怪我した鳥を自分だけで診てやることは難しいだろう。どうしようか。

少し離れた公園に行った。植え込みの中に、枯れ葉を集めてそこに鳥を置いた。ばたばたと暴れる鳥。このままでは、カラスでなくても、野良猫にやられてしまうかもしれない。

不規則な形のボールが転がるみたいに、鳥はばたばたと地面を転がっては、止まる。転がっては止まる。そうか。この鳥は死ぬんだな。何をしても、どっちにしても死ぬ。

鳥とまた目が合った。
ぶるぶると震えながら、私のことをちゃんと見ていた。

手を合わせた。何度も何度も手を合わせて祈った。
御免。私にはこれ以上してあげられない。御免。

家に帰った。手を洗った。
それでもどうしても気になって「野鳥の保護」なんて検索した。

そこで、初めて、私はつくづく自分を呪った。
バカだ。私は本当にバカだ。考えすぎる小利口バカだ。
最初から、あの鳥をここに連れてくれば良かったんだ。

紙袋をつかんで、自転車を飛ばして、もういちど公園に行った。

公園の広場に、大量に鳥の羽根が飛び散っていた。
それは、最初に見た光景と同じ。
カラスが何かを足でつかみ、クチバシでつついていた。

近寄って、はっとした。
キジバトの頭は、もう無かった。
カラス、あいつら、獲物を頭から喰うのか。
首無し死体。
さっき私を見上げていた鳥の真ん丸な瞳はもうこの世に無いのか。

カラスは私にはお構いなしに、獲物を喰い続ける。

殺意。殺してやる。自分は何に怒りを感じているのだろう。
カラスに? 自分に? どうしようもない世界に?

あのとき自分に、それ以上なにができたというのだろう?
あのとき鳥を連れ帰っていたとしても、きっとそこには後悔と自己欺瞞だけが残ったことだろう。

私は人間に関しては、ほとんど泣くことはない。
でも、動物のことだけは盛大に泣く。
あの真ん丸な瞳と震える体を思い出している。

そして、きょうも私は動物の肉を食べている。


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2013/11/23(土)
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