『幻とのつきあい方』

だんだんと空気が湿ってきました。魚座の季節ですね。魚海王星と魚太陽のコンジャンクションもピークを越えたかな。魚座生まれのみなさま、ソーラーリターン(お誕生日、のようなものだ)の季節おめでとう。



幻を扱う仕事には 気をつけよう
時に幻は姿を見せる
<幻とのつきあい方>


そうなのだ。私は坂本慎太郎が作る歌がとてもとても好きで、繰り返し繰り返し聞くたびに、だんだんなにもかもどうでもよくなって、魚座的世界と海王星のことをおもう。
彼の紡ぎだす世界は凄い。天才。。。(乙女座生まれなんだよな…)

いつだったか、魚座生まれのまるさん ⇒★ &まりさん ⇒★ といっしょにいるときに「ワタシ、魚座無理。魚座嫌い。どれだけ酷い目にあってきたことか!」とかなんとか、堂々と爆弾発言したのは、何を隠そうこの大バカモノのワタクシです。いくら寛大な魚座といえども、お二人とも大バカたまきに呆れてたことでしょう(いまさらですが、ごめん。ごめんよ。嫌いは好きの裏返しだ…)

魚座的世界のトラップに勝手に自分からハマってどツボに落ちるのは私が大バカだからなのだ。自分のあたりまえとしている世界とは、あまりにもカルチャーが違いすぎるのだ。魚座の魅力に対して「なぜ?どうして?」といちいち理由を問うたり、仕組みを理解しようと試みるのは無意味。野暮以外のなにものでもない。(双子過多の性質にとっては、この上なく厳しい修行だよ…) 魚座的魅力を、ただただ自分だけのものとして手に入れようと策を練ったりあがいても所詮最初から無理なこと。(これはこれで牡牛月にとってはフラストレーションたまるんだよ…)

魚座的なひたひたと淡く漂う雰囲気をまとう人たちは、わけもなくとても魅力的にみえるのだけれど、私にとっては、決して自分の手に入ることはなく、いつまでも遠くに瞬いている幻みたいなもの。形として手に入るはずもない。そういうものなのだとあきらめて、すこし離れたところから、なんとなくぼんやりと憧れの目でみつめているときがいちばんしあわせなのだと、だんだん年を重ねるにつれて、すこしずつ感じられるようになりました。



意味を求めて 無意味なものがない
それはムード とろけそうな
<空洞です>



なぜかよくわからないけど、なんかいい。それでいいじゃないか。なんの役に立つのか?とか、制御しようとか、予測しようとか、改善しようとか、向上しようとか、そういうちっぽけな個人的な意図のあれこれをぜんぶ放棄して、なんかいいよ、とただいっしょにいるだけで(いや、もしかしていっしょにいる必要さえなくて、ただこころでぼんやりとおもうだけでも)いいじゃないか。なんか、そういうムード。まさにとろけそうな…www

そして、はたと目が覚めて思うのだ。うわ。ヤバい。やることなんにも進んでない。約束やぶっちゃった。時間間違えた。ぎゃー!どうしよう!!!
「くっそーーー。まただまされた。魚座的世界め〜!」なーんて。でもさ、その反面では「魚座的世界」でしか味わえないまるで夢のようないい思いというのがあるのもまた確かで、たぶん、そういういっけん無駄な時間や体験や潤いがないと、生命は貧しく固く痩せ細っていくばかりなのだよね。

と、すこし酔っぱらって書いてみた。おわり。

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2014/02/26(水)
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